自転車コラム INDEX




  タンデムを楽しむ

中村商店に飾られた昭和30年代のタンデム

東京サイクリング協会(TCA)の事務所は、銀座7丁目、昭和通りと中央市場通りの交わる地に面する「中村商店(自転車)」内にあります。こちらへ訪れて来ると玄関の上には比較的新しく珍しい型のタンデムが吊るしてあるのが見えます。奥には銀座走朗会[G.H.K.]のプレートがついた古いタンデムが壁に掛けられています。

ここは築地の中央市場が昭和9年に日本橋から移転する間際に、買出し客目当てに開店しました。当時の自転車とは運搬手段としての乗り物、いわばトラック扱いです。

終戦後、近くの国立がんセンターが接収され米軍病院となり、朝鮮戦争の傷病兵の収容で大変になりました。当然のこと非常に外人が多く、彼等が乗っている「タンデム」がサイクリストの先輩方の目に止まり、羨ましがらせたのでした。

当時、朝鮮戦争の特需景気で、日本人も敗戦ショックから経済的・精神的に立ち直り、少し余裕が出来始めたのでしょう。自転車メーカーもやっとスポーツ車(当時ツアー車と言っていた)の製造を手がけ、戦後最初のサイクリングブームが起きたのです。画期的に多段式(といっても3段変速)自転車が出まわり始めました。自転車店に数台の貸自転車が置かれ始め、あちこちで遠乗り会を実施する仲間達が集まり、次々とサイクリングクラブができるようになりました。

この先輩連中が「タンデム車」を羨ましがり、これに乗りたくなったのです。それでも新しく造る余裕はなく、乗りたい欲望が「リサイクル」の方向へと向かったのでした。銀座から隅田川をはさんだ月島は(勝どき橋が上がっている時は上流の佃の渡しで渡る)当時ニュータウンのはしりのアパートがあるほか、産業復興の担い手としての鉄工所が多く存在していました。これに目をつけ運搬用自転車を改造してもらう事にしたのです。一台のタンデムを作るのに実用車を数台つぶして工夫したようです。

工夫1 ブレーキは前キャリパー、後バンドブレーキを使用。何しろ実用車なので重量があり、二人で乗るので、タンデム車に乗った方はご存知でしょうが、二人力のためスピードが出るのです。当時のキャリパーブレーキでは不安なためか、実用車の大型バンドブレーキをそのまま利用しています。
エキセンBB
偏心しており距離が
調整できるボトムブラケット
工夫2 その頃はフロントのWギヤが手に入らなかったので2枚のギヤ板を溶接して作っています。溶接した為、歯を交互にたたき曲げています。関係者の大半が故人となってしまってわかりませんが、これは大変だったと父は話していました。
工夫3 チェンテンションを取るのに外装変速機を転用しています。もちろんエキセンのBBがなかったのです。
工夫4 変速機は内装式のハブギヤを使っています。実用車のフレームを利用したためエンドが正爪で取り付けるディレイラーが手に入らなかったのでしょう。ワイヤーも長くなるので苦労したようです。
工夫5 当時は、前輪32本・後輪40本のスポークでした。タンデムの重量を考えると結果として好都合でした。

パレスサイクリングでのSuper-Duo

驚いたのはサイクリストの大先輩北川四郎氏(TCA相談役)がこのタンデムを見て「当時、我々藤倉電線サイクリングクラブでも同様な方法でタンデムを作ったが現存していない」と寂しそうに話してくれた点です。藤倉も木場にあり同じような環境で乗りたくてチャレンジしたのですね。

一方、玄関の上に吊るしてあるのがセミリカンベントのSuper-Duoです。こちらは健常者のパイロットが後ろで視覚障害者が前に乗るものです。

都盲協(東京都盲人福祉協会)と一緒に年間4回ほど「タンデムを楽しむ集い」を十数年間続けて参りました。都盲協の人達の最大の楽しみであるところの風を感じて喜んでもらうのにTCAのスタッフが風防となって邪魔をしているのが気になっていたところ、後ろにステアリングの付いたこの自転車の存在を知り、TCAで手に入れる工夫をしました。

タンデムを楽しむ集い

いざ乗って頂いたところ非常に好評で喜んでもらっています。自振協(自転車産業振興協会)から貸与されて神宮外苑の倉庫に預けてある20インチミニのタンデム10台とSuper-Duoそしてパイロットを努める会員がTCAの財産です。
東京都盲人福祉協会 http://www.normanet.ne.jp/~tomou/
自転車産業振興協会 http://www.jbpi.or.jp/
(中村 洋一郎)