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障害者とモータースポーツ  

今日、ご紹介するのはモータースポーツが大好きな一人の青年です。

彼の名は佐藤和洋さん。

先日の富士チャンピオンレース・シリーズで念願のJAF公認レースデビューを果たした。

「そんなこと、お金と時間を使えばできるじゃない」と“健常者”は思うだろう。

佐藤さんは上半身しか思うようにならない、障害者なのだ。

でも私が紹介したいくらいだから、普通じゃない。いや、普通? 彼は極めて常識的な人間なのだと思う。

友人に紹介され、初めてお会いしたのは都内のレストラン。彼はそこまで横浜にあるオフィスから愛車を乗りつけてやって来た。路上パーキングに駐車したあと、もう一台の愛車“クルマ椅子”に乗り換えて入って来た。彼の第一印象は「とにかく明るい」。

Motor Sports Barrier-free
佐藤さんは中学3年生のときにレーシングカートのライセンスを取得。27歳のときカート練習中のアクシデントにより下半身不随となってしまった。

’05年の夏にあるTV番組の『サーキットを走る障害者』という企画でレースに誘われ、A級ライセンス不要の軽自動車を使った耐久レースに参戦。それまでも走行会などには参加していたけれど、実際にレースが終ると「やっぱりレースに戻ってきたんだな」と、自分はやはりレースが好きなんだと気づいたのだそうだ。「またレースがしたい」そう思うも、当時、障害者はA級ライセンスを取得することができなかった。

その冬、佐藤さんは『モータースポーツバリアフリー協会』を自らが代表となって立ち上げる。障害者が普通(健常者と同じように)にレースに参加することができない、モータースポーツ界がバリアフリー化されるようにならないだろうか…、と考え活動する場を作ったのだった。

レストランでは何でも話してくれた。途中で私が言葉を選んで慎重に会話をしていたのがバレたのか、「気にしないで何でも聞いてください。知ってもらったほうがいいので」と言われてしまったほどだ。私には到底ムリだと思うのだけど、彼は半身不随になってしまっても全く落ち込むことはなかったのだそうだ。「自立するためには自分の体重を二本の腕で支えたり、持ち上げたりできるようならないといけないと言われ、鍛えたんですよ」とパンパンに筋肉の張った腕や胸をさすりながらサラッと言う。とにかく気持ちが真っ直ぐで明るい。

そんな調子なので、次に彼は富士スピードウエイのレースオフィシャルになろうと思いつく。ライセンス取得を実現させるためには、まず現場の人に障害者について理解をしてもらうことが大事だと考えたのだそうだ。ただしそれも簡単なことではないことは想像がつくでしょう?

ところが、彼がラッキーだったのはオフィシャルのリーダー格の方がハンディを持つ人に理解のある方だった。彼のボスである運営委員の中島さんは「前例が無い。どう扱っていいのかわからない。何かあったらどうするんだって…。みんな、それで避けちゃうんですよ」と、べらんめえ調で話す。下半身が動かなくたって、オフィシャルの仕事は目が見えて、耳が聞えて、ニオイがわかればできることだってあると中島さんは言う。そんなわけで、二年前から佐藤さんは中島さんの下で技術担当のオフィシャルとして車重を測ったり、パーツの径を計ったりする仕事を担当。スーパーGTやフォーミュラ日本のような大きなレースから、小さなレースイベントまでオフィシャルとして活躍している。ちなみに、富士スピードウエイも彼のことは特例として認めている状態だ。でも、トヨタが母体のこの会社が認めたという柔軟さを知り、私は正直、彼らを見直した。

オフィシャル仲間も最初は皆が気を使っていたそうだ。しかし彼の考えはいつでもどこでも「出来ることは出来ると言い、出来ないものは出来ないとハッキリ言う」ということ。障害者だってそれぞれに度合いも違う。相手と正直なコミュニケーションをとり続けていくことで、彼の障害の度合いや行動範囲を理解してもらうしかないのだそうだ。ときには“特別扱い”というものとは違う“配慮”をされることはある。宿泊先でアクセスのいい部屋割りをしてもらったり、サーキットの駐車場だったり…。それでも佐藤さんのオフィシャルとしての仕事の範囲も最初の頃に比べればちゃんと広がっているのだ。(次回へつづく)