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2011年6月  
 「カングーロへの道」 2011/06/02

アルファロメオカングーロ、この世界にただ1台のスタディは、ジウジアーロがチューブラーフレームの上にデザインしたもの。
10年ほど前、恵比寿にあったミスタークラフトのマイショップと言う個人ショーケースでみつけたのが、64年のカングーロデビューを伝える古いアメリカの自動車雑誌、ロード&トラック。表紙にある後ろ姿は艶かしく、きゅっと引き締まったボディは、俊敏な動物を思わせる。
世界に1台しかなく今は失われてしまったのではと思われていた当時、その雑誌のカングーロは昔から僕の憧れだった。
同じマイショップの中に、古いカングーロのスロットカーの箱入りの未組み立てがあり飽きずにウィンドーの外から眺めた物だ。その価格は5万円近い物だったと記憶する。
もちろん手の届かないカングーロは、ガラスのむこうにいつも鎮座していた。

このカングーロがレストアされていると言う話を聞いたのは、名古屋の展覧会のころだっただろうか。オーナーのK氏は世界的なコレクターで、ステッチの数やガラスの曲面、ノーズの丸みにこだわって何回もやり直しをしていると言う話を聞き、その姿を見る日は来るのかと心躍った。
そのカングーロが出来上がったと聞いたのは、友人でイラストレーターとして大先輩でもあるテクニカルイラストレーターのO氏からだった。
発表された当時世界中で話題になり、あのデイトナコブラにも影響を与えたと言われているこのスリークなスタイルのクーペは、ジャーナリストによるテストの際に同じジウジアーロのコンセプトカー同士の事故を起こし、その存在は幻となっていたと聞く。
そのクルマがとうとう出来上がった。海外のコンクールデレガンスでお披露目された姿は、まさにあの日のカングーロそのままだった。オーナーのこだわり抜いたレストアが、世界にただ1台のマスターピースを蘇らせたのだ。

そのカングーロが日本で展示されると言う話を聞いて興奮した僕は、前述のO氏に誘っていただき、カングーロツアーと称して大勢の仲間とついに対面することになった。
場所は山中湖のほとりにあるギャラリーアバルト美術館、ピニンファリーナの設計によるモダンな建築の扉を開けると、そこには美しいクルマたちが輝いていた。
フェラーリディーノ206Sや250LMと言うレーシングカーから、かわいらしいアバルトの数々。どれもが素晴らしく貴重で、ものすごく高いレベルで美しくレストアされている。同行したイラストレーターのFさんや、カングーロの模型をアルミ板やマグネシウムなどその素材までこだわって手作りされているSさんたちと食い入るように眺めたのは、やはり中央でスポットライトを浴びていたカングーロだった。

くるんとした丸いボディはオレンジの強い赤で、すべての面が引き締まっているのでサイズが大きく見える物の意外にころんと小さい。
オーナーからレストアの際のご苦労を直に拝聴し、さらにはエンジンまで眺める事の出来た贅沢な時間。そこに描き込まれた四葉のクローバーはアルファロメオのスポーツモデルのシンボルだが、このカングーロのみ風に揺れるようになびいた姿でデザインされている。ここでは写真を撮影することは出来ないので、ざっくりと画用紙に色鉛筆を走らせた。
憧れたカングーロが目の前にいる。その高揚感に包まれたその時間はおよそ5時間ほどであっただろうか。オーナーの話は終る事もなく、そのクルマへの愛情をどこまでも深く伝える物だった。

64年のロード&トラックの表紙を見ながら水彩画を描いてみた。
一筆書きで描いたような、つるんとつながった面のリズムが心地よく、実車に対面した時の感情が蘇る。絵にする事で、僕は自分の中のカングーロを表現することが出来る。
そして、ついにカングーロの古いプラモデルを手に入れた。60年代のタイメイと言う会社のカングーロ。ゴム動力のおもちゃモデルだが、そのプロポーションが素晴らしく、あちこちに手を入れて改造して、僕だけのカングーロのプラモデルが手に入ったのだ。道にたどり着いた。そんな気分だった。

僕の中のカングーロへの熱い思いは、これでひとまず満足すべきすがたとなった。長い間の憧れ、それ自体がほんとうに大切な物だ。


 「真夜中のジャガーDタイプ」 2011/06/10

去年の7月に訪ねたルマンクラシック2010。ルマンのサルテサーキットのフルコースで行われるヒストリックカーレースは、金曜日の予選から日曜の午後まで、昼も夜もサーキットには轟音が響き渡り、パドックもスタンドも熱気に包まれていた。
ちょっと考えられない事だが、金曜日の午後3時からクラスごとに予選が始まり、さらにこの季節やっと暗くなってくる夜の10時からはナイトセッションの予選が夜中の2時までクラスごとに行われるのである。
もちろん本戦のレースも6つに分けられたクラスごとに約1時間のレースが土曜の午後4時から日曜の午後4時にかけての24時間の間に、ひっきりなしに昼間2本、夜1本の1時間レースがサーキットで繰り広げられる。昼間のサーキットはものすごく暑く、30度を超える猛暑と強い陽射しのもとで、生ビールを飲みながら皆が応援をする。
会場で売っている1冊10ユーロのプログラムはとても良く出来た読み物にもなっていて、時代分けされた各クラスのエントリーリストの他に、各時代のトピック、名車や風俗の解説、さらにそのレースで注目される速いクルマの(カーナンバーやドライバーまで指定している)解説が入り、見ている方もよく読んで特定のクルマに特に声援が集まるのは見ていてとても楽しい。
スタンドのチケットは別に買ってあったのだが、なんとか空いている席をみつけてやっと腰を下ろすと、そこは皆レース好きである。まわりのおじさんおばさん、お兄ちゃんお姉ちゃんたちが、拍手や口笛でクルマを応援する。とくにフェラーリのP3/4やLM、速い246Sや、GT40群の中でも特に速かった1台などは拍手喝采、そしてもちろんアルピーヌやマトラなどのフランス勢には皆が惜しみなく拍手を送り、声援を届けていた。
そして、スピンしたクルマやとても遅いサンビームアルパインやサーブ、ルネボネエアロジェットなども大人気で、大きな声を出したり拍手をしたりして皆で一体感を味わうのは、日本のこの手のレースにはない新鮮な楽しみだった。皆よくプログラムを見ているし、何よりクルマを知っている。ドライバーが当時の有名どころだったりするとまた拍手喝采だし、最後の周回には特に皆が拍手と口笛で喝采を叫び、ちょっと感動的な気分が味わえるのだ。なにしろ、目の前に広がるのは写真の中で見慣れたルマンのコースである。そして走っているのがコブラやビッザリーニ、ポルシェ917やフェラーリ512Sなのだから、興奮しないではいられないだろう。

1日サーキットを歩き回り、数えきれないほどスケッチをして、買い物を楽しみ、デジカメの電池が切れるほどシャッターを押し続けたその日、土曜の夜は特別だった。
友達と示し合わせ、その日はサーキットで軽めの晩ご飯を食べた。中には簡単なビュッフェからワインバー、ギネスビールの飲めるパブまであり、食べる楽しみはやめられない。その日はシャンパンとおいしいシーフードのアペリチフをいただき、食後には生のギネスに舌鼓を打った。時間は夜の9時を回ってくると、やっと夜風が出てきて太陽も傾いてくる。ダンロップシケインのスタンドの一番てっぺんに席を取り、サーキットの反対側に広がる暮れ行く夕焼けを眺める。
シケインでは、長く影をひいた戦前のスポーツカーのレースが終わり、いよいよお目当ての50年代のスポーツカーレースが始まった。
このクラスの中心はポルシェ356や550スパイダー、アストンマーチンのDB2やロータスイレブン、ランチアアウレリアと言ったクルマたちだが、何より速く目をひいたのがテールにそびえ立つ垂直フィンも勇ましい、ジャガーDタイプの一団だった。
ルマンで50年代に無敵を誇ったジャガーの中でも3連勝を誇ったDタイプは特別だ。マルコム・セイヤーの空力ボディにダンロップの軽合金ホイールとディスクブレーキで、群を抜いた先進性を併せ持ち、ジャガーのストレート6はルマン24時間レースの象徴となった。
そのDタイプが、真っ暗になったサーキットでライトを揺らせながらコーナーを抜けて行く。昼間の暑さもうそのような、涼しい夜風が吹き抜けていくスタンド、時間は夜の11時30分。こんなに幸せな瞬間があるだろうか。
夜のサーキットでも意外に観客は多く、皆それぞれに楽しんでいる。テントやキャンピングカーでサーキットに泊まり込み、夜通し酒を飲んで楽しむイベント慣れした者も多いだろう。広いクラブスメースには、オチキスやファセルベガから、AC、パナールやルネボネなど、様々なメイクスが集まって彼らの時間を楽しんでいた。

それからしばらくして、友達の運転で彼の子供と一緒に1時間かかるホテルへと夜道をルノーグランエスパスは飛ばしていた。
子供たちはすっかり寝息を立てていたが、僕の興奮は覚めやらない。
夜のルマンのサーキットには魔物が棲んでいると言うが、そのとき僕が見たのは、夢にまで見た闇の中の美しい野獣たちの姿だった。


 「駆け抜けるタービン音、ホーメットTX」 2011/06/17

昔、雑誌のイラストだったろうか、目にしたふくよかなスポーツカーには小さな文字で解説が加えられていた。ガスタービンエンジンを搭載したアメリカのスポーツカー、「ホーメットTX」そのエンジンは想像もつかず、アメリカのレーサーらしい独特の形状にノックアウトされ、このホーメットに恋してしまった。

数年前にパリに行ったとき、家族でバスに乗っていたら目の前にミニカー屋さんらしい建物が目に入った。早速おりて確認すると、そこは雑誌にも載っていたショップで古いディンキーミニカーのショップオリジナルレプリカなど、面白い物を買うことが出来た。そこで目に入ったのが当時新製品で出ていたビザール製の1/43の精巧なホーメットだった。こんもりとしたフェンダーに磨かれたシルバーのルーフ。太いグッドイヤーのブルーストリークとアメリカンマグホイール。どれもがかっこ良くお気に入りとして日本に連れ帰った。
当時レトロモビルやグッドウッドなどで実車のホーメット復活も話題になり、そのヘリコプター用のタービンエンジンを響かせているようだった。
僕はその憧れから、古い1/25mpcのプラモデルを手に入れた。

このプラモデルは60年代当時の貴重なキットで、ガスタービンエンジンや鋼管フレームも繊細に再現され、キラキラしたメッキのルーフが別パーツで再現されるなど夢のような内容だった。
ネットで出回り始めたホーメットのイベントでの画像を集め、パソコンでデカールと言う模型に貼るシールをデザインし直して、68年のルマン仕様を再現してみた。
メッキのルーフには遠くからぱらっとシルバーのスプレーをかけぎらつきを抑え、実車の磨きの入った無塗装の金属ルーフを再現、僕の憧れは手のひらの上で形になった。

今回ルマンクラシック2010に行く事が決まったとき、ネットでエントリーリストを見て舞い上がった。あのホーメットがエントリーしているではないか。
古い写真で、イラストで、ミニカーで、プラモデルで憧れたクルマを目の前に見られる。そしてあの轟音も。
サーキットに到着した時、パドックで一目散に目指したのはフェラーリでもフォードでもなく、このホーメットだった。
まわりのフランス人もよく知っていて、まわりには人だかりがあり、メカニックも朝からひっきりなしにエンジンや足まわりを調整している。
なにしろ他にないガスタービンエンジンのレーサーだけに整備がさらに大変なのであろう。他のクルマのオーナーがのんびりとしている中で、このクルマは常にあちこちといじくり回されていた。
ノーズのブルーの色味は少し明るいようだったが、その特徴的なストライプとセンスのあるロゴもそのままに、模型で見た通りのホーメットが目の前にいた。
僕はスケッチパッドを広げ、一心不乱に鉛筆を走らせて行った。
写真と違い、細かいところはちょっと顔を近づけて目を凝らせば確認出来る。そのボリュームやディテールを思う存分味わいながら、水彩紙の上にクルマを構築して行くのは無上の歓びだった。傍らのフランス人も絵を覗き込み、「セ・ボン」等とつぶやいてくれる。彼らは写真を撮る時もさっと撮って目の前からどいてくれる。絵を描いているものを無視せずにきちんと配慮してくれるのは、海外でいつも経験するすばらしい気分だった。

ものすごい強い陽射しの中スケッチを描き上げると僕はへとへとになった。しばらく何台かスケッチしてからグランドスタンドの日陰に休憩しに行く。目の前では待ちに待った60年代プロトのレースが始まろうとしていた。
居並ぶフェラーリ512S、デイトナグループ4と言った艶かしいレーサーに、水色のポルシェ917KやローラT70が絡み、アルピーヌやマトラ、フォードGT40マーク2が華を添える。
そして中で、キーンと言う金属音とともに異様なムードを持って駆け抜けて行ったのが、あのホーメットだった。
音が響き渡ってからクルマがついてくるような独特の走行音。決してその走りは完調ではなかったようだけど、まわりの観客も惜しみのない声援をホーメットに送っている。
フランス人はアバンギャルドが大好きだ。他とは違う、孤高の存在にリスペクトを捧げる。ルマンのサーキットで決していい結果は残せずともその独自の存在感で走り抜けたアメリカのレーシングカーを、彼らは忘れていなかった。

歴史がある。昔からその地に続いている伝統がある。そんな時間のつながりを感じ、自分たちの伝統の上にこんなスポーツカーレーシングがある。
それは本当に羨ましい、ちょっと嫉妬を感じるような体験だった。
アメリカからフランスの地を目指した、ガスタービンエンジンのスポーツカー、ホーメットに出会えて、僕は心の底からうれしかった。
心の底から憧れた物は、目の前に現れるのである。


 「白い妖精、バードケージ マセラーティ」 2011/06/24

1960年のルマン、そこに現れたロングテールの白いボディのノーズにはカモラーディのロゴ。マセラーティのレーサーを走らせていたアメリカのチームで、このバードケージには忘れられないカラーリングだ。
マセラーティのティーポ61バードケージは、その繊細で細いパイプを網の目のように張り巡らしたフレームから「鳥かご」とあだ名が付けられ、そのぺったんこなボディに大きく盛り上がったフェンダーラインがキュートで、僕の大好きなクルマだった。

最初にバードケージを見たのは、まだバブルのころの谷田部だった。当時地方新聞社の主催で行われた筑波トロフィーと言うイベントに知り合いが絡んでいたおかげで誘われ、買ったばかりのキャトルに地図を積み込んで、単身谷田部の高速試験場を目指した。バンクのある周回路をバックに居並ぶクルマは凄まじく、海外のクラブを招いていたので当時の日本では考えられないオレンジの派手なアルファロメオTZ2やシルバーのポルシェカレラアバルト、小さなかわいらしいフィアット500ザガートといった宝石たちが居並び、中で目を引いたのはアメリカ人が持ち込んだカモラーディカラーの有名なバードケージだった。
オーナーはサングラスをかけた長身のかたで、がばっとフロントカウルを開けるとやおらエンジンを始動する。バリバリバリ、ブロブロブロと大音量が響きわたり、レーシングエンジンに初めて接したまだ美大生だった20代の僕は完全にノックアウトされた。
そのショートテイルのバードケージに恋い焦がれて、1/18の精巧なミニカーを後に手に入れた。フレーム構造から配線、美しいワイヤーホイールまで余すところなく再現された工芸品のような模型は、僕の家のコレクションケースの特等席にいつも陣取っている。

そんなバードケージの中でも、このロングテール、ロングウィンドウのカモラーディは貴重な一台だ。
1960年のルマンでレースではたった2時間で姿を消したが、レギュレーションに対処するために大きく延ばされたウィンドウとともに特異なスタイリングを見せつけてくれる。
この日のレースでもとても速く、フェラーリやポルシェ、リスタージャガーなどにも負けない走りで大きな声援を浴びていた。
3日間の熱いレースも終わりに近づき、僕はその夢のような体験をまだ頭と体で消化しきれずに、空席のちらほら出来始めたパドックをさまよっていた。
白いテントの下に、あの速かったバードケージが佇んでいた。長身のドライバーと、さらに金髪のまぶしい長身の白いドレスの女性。
彼らにとって2年に一度の待ちに待ったお祭りももう終ろうとしていた。まだまだ陽射しは強く、彼らの白い肌も赤く日焼けをしているようだった。

僕はスケッチパッドを広げて、この貴重なレーシングカーの姿を水彩紙に描きとめていく。
鉛筆を走らせ、きゅっと締まったボディと、大きなウィンドウに写り込んだ幾筋ものライン、傍らにはもちろん彼らも描き入れる。
気がつくと、そのマシンには大きなトロフィーが掲げられていた。
このクラスの3日間のレースでの優勝を意味するその輝きに気づき、僕は「コングラチュレーション」と声をかけた。
先ほどからスケッチを気にしてくれていた大柄の彼は、絵を見てとても満足してくれ、僕に名刺を手渡した。
ドイツの会社のアドレスが書かれていて、「その絵が仕上がったら僕にメールで届けておくれ」とにっこりと笑ってくれた。

社会的に十分な成功を納め、世界に一台の貴重なレーシングカーを駆り、そのビッグイベントで輝かしい成果を収めた彼は、傍らの彼女ともにとても満足げで、心地よい疲労に身を任せているようだった。

高価なクルマをも持ち寄り全力で駆け抜ける、それはお金持ちの道楽に思えるかもしれない。しかし、そこにあるのは真のエンスージアズムである。
たぶん子供のころから憧れたであろうレーシングカーを手に入れて、最高の状態に整備し、最高のロケーションで愛機に思いっきり鞭を入れる。
その歓びは、僕らスポーツカーに憧れる物たちと何ら変わらない。僕はこの絵を描いて、彼らの歓びを分かち合えたような気がしていた。
やはり、スポーツカーには人を惹き付け続ける魅力が満ちあふれている。こんなクルマたちをじっくりと絵にしていきたいのだ。