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2011年7月  
 「小粋なフレンチスポーツ ルネボネ エアロジェット」 2011/07/02

ジェットと言う小さなフランスのスポーツカーをご存知だろうか?アルピーヌあたりとよく似た小さなルノーエンジンを積んだスポーツカーで、そのエンジンはミッドシップにマウントされる。ロータスヨーロッパやランボルギーニミウラに先駆けて、世界初の量産ミッドシップスポーツカーの称号を手に入れた、小さなフランスの宝石である。
この手のナメクジ系の軽量スポーツはフランス人の得意とするところで、豆粒のようなエンジンをロングホイールベースの軽量シャーシにマウントし、空気の流れに出来るだけ逆らわない裾の長いボディでくるむその一団は、大排気量のフォードやフェラーリたちの横で、まったく違う種類のレースを一緒に展開していたのである。
熱効率指数賞というルマン独自のレギュレーションをもとに、いかにエコロジカルにスピードを目指すかという言わばとても現代的な戦いに明け暮れていた水色の妖精たちに、僕はいつも強いシンパシーを感じてしまう。
例えば大排気量のフォードGTが真夜中のユーノディエールストレートを最高速で突っ走ると、追い抜かれる哀れなナメクジは傍らに風圧で吹っ飛び、いくつか悲しい事故も引き起こしたそうである。フランス人も半官贔屓は多いらしく、これら自国の豆スポーツは常に喝采を持って迎えられた。

ジェットクラブと言う物がもちろんフランスには存在し、貴重なルマンスペシャルをいつもこのイベントに送り込んでいる。この年の主役は1964年のエアロジェットだった。
市販車の面影を強く残す細長いボディは、延ばされたノーズと長いテール、そしてカタツムリのような膨らんだリヤのスパッツとともにまさに一種異様なぬめぬめとした存在感を誇り、美しい水色メタリックのボディとともに、とてもチャーミングに目に映った。
軽合金ホイールとミッドシップに積まれたゴルディーニエンジン、サーキットでの走りは悲しいほど遅い物であったが、クラブの皆は十二分にレースを楽しみ尽くしているようだった。もちろんそんな彼らはサーキットのアイドルで、地元のフランス人の観客は遅いジェットが通り過ぎるたびに割れんばかりの拍手を捧げる。
ルマンまで来て、そんな愛すべきスポーツカーを眺めていた僕は、この地に立っている事に感謝を覚えていた。

ジェットが好きで、数年前に1/24プラモデルを作った。当時のプロモーションモデルと言ういわば立体カタログで、がっしりとしたプラのボディはドアやフロントのトランク、リヤのフードも開き、別体のシャーシやエンジンもモールドされ、素晴らしい内容だった。貴重なキットなので、タイヤやホイール、ライトなどに手を加え、満足がいくように作り込んだ。それは、1/32の古いスロットカーや1/43のレジンミニカーとともに、僕のジェットコレクションに輝いている。
このルマンの地でも、たくさんのお土産屋さんが軒を連ね、僕は目を凝らして宝の山をかき分けるように、一つ一つのショップを見て歩いた。
ある所は古いミニカー、ある所は60年代の古雑誌、高価な革ジャンや革のヘルメット、レーシンググローブ、高級な手作りの大型ミニチュアカーに混じって、ヨーロッパで主流の1/32スロットレーシングのショップがあった。
スロットレーサーとは、鉄道模型のような溝のあるトラックでクルマを競争させる遊びで、日本でも60年代に大ブームを巻き起こし、それがヨーロッパでは大人の遊びとして根強い人気を誇っているのだ。日本でもマニアが集まるとスロットのクルマを作り込み、熱いバトルを展開しているのだが、彼の地では32スケールの精巧なレジンボディがその流れの主流にあるようである。

プロトと言うレジンモデルの中でも作り込みの美しいフランスのメーカーブースがそこにあり、ビニール袋に入れてぶら下がっているのはフェラーリの250SWBやツールドフランスと言ったクラシックモデルが中心で、ローラGTやアストンマーチンと言ったモデルの中に、フレンチナメクジをみつけてしまった。
そこにいたのはあのルネボネエアロジェットとアルピーヌM64。エアロジェットはさっき写真にたくさん収め、鉛筆でスケッチしたクルマそのもの、アルピーヌもたくさんこのルマンクラシックに集まっていた、ナメクジ系の1台である。
もちろんその粗末なビニール袋を鷲掴みにして、傍らにあったパーツ類にも目を凝らす。
僕は、スロットレーシングそのものはほとんどやらないので、この手のモデルもミニチュアカーとして仕上げるつもりだった。このレジンボディにはタイヤやホイールはつかないので、それ専用のタイヤやホイールは別に小袋で用意されているのだ。
一緒に手にしたフェラーリのSWBの美しいエッチングワイヤーホイールを2袋買い、数種類あるタイヤやホイールを眺めていると太った主が助け船を出してくれた。
手の中のレジンボディを見せ、タイヤやホイールを聞くとこともなげに合う大きさの細身のタイヤやアルミ製の専用ホイールを選んでくれる。
どれも日本では手に入りにくい物だけに、ライトのセットや小物パーツなども選んで、カードで会計をしてもらった。
本当のマニアが、こうして実車を見ながら模型作りにいそしんでいる。
写真やデータからモックアップを起こす世界中のメーカーから比べればちっぽけな存在のそんな手作りメーカーが輝いているのは、ほんとうにこのエアロジェットのような心意気があるからなのだろう。

日本に帰って、さっそくこの2台のナメクジにプラ板でシャーシを作り、あの地の熱い思いを思い出しながらミニチュアを仕上げて行った。
小さな反骨精神の姿が、またひとつ僕のショーケースの中で輝きを増した。これだから、ルマンクラシックはやめられない。


 「ジャガーE2A」 2011/07/09

ルマンクラシック2010を訪ねたとき、その存在に驚いた車の1台が「ジャガーE2A」だった。
当時、特に英国のメーカーはルマンに熱心で、トライアンフやMGも生産前のプロトタイプをルマン24時間レースに出場させて、そのスタイリングの反応や、性能を試していた。ミケロッティのトライアンフTRSは後のTR4によく似た車で、今回のルマンクラシックにもその実車が披露されてその佇まいに惚れ惚れとした。

このジャガーE2AはDタイプのあと、後のEタイプ開発のために作られた試作車で、モノコックボディにEタイプに通じる独立タイプのリヤサスペンションを持ち、何よりもスマートなスタイリングがジャガーEタイプの登場を予感させる物だった。
エンジンは長い鼻に収まる直列6気筒3リッター、そして特徴的な垂直フィンと丸くまとまったテールはジャガーDタイプとの共通性を強く感じさせる。
このクルマは1960年のルマンに、アメリカのカニンガムチームからエントリー、10時間でリタイヤするも、ジャガー健在を多くの観衆に印象づけた。
いらしく、これら自国の豆スポーツは常に喝采を持って迎えられた。

そんな世界で1台の有名なプロトタイプが目の前を走ってしまう。普通なら博物館で余生を送るべき車にむち打ち、全開でコーナーを駆け抜けさせるとは、なんと粋な計らいだろう。彼らは走ってこそ車が生き生きとすると言うことを本当に理解している。どんなクルマでも、置物になってしまっては価値がない事をわかっているのだろう。そんな特別な車ばかり束になって走ってくる姿を想像して欲しい。リスタージャガー、ACブリストル、アストンマーティンDB3Sがコーナーに飛び込んでくるのだ。これが冷静でいられるはずがないと言うのは理解していただけるだろう。

このE2Aは結構なスピードで周回を重ねていたし、それこそジャガーに対する敬意の表れだと思うのだ。ここフランスでも特に英国のスポーツカーは人気が高く、もちろんドーバーを渡ってたくさんのイギリス人たちが観戦に来ている。彼らはテントに泊まりながら夜通しビールで騒ぎ、彼らのルマンを楽しむのだ。
ここでE2Aを目の前にしてスケッチブックを広げ、鉛筆を走らせる。ただ1台の車を前に、仔細にディテールを覗き込む。
写真を撮るだけではわからないこの眺める時間こそ、僕にとっての最高の贅沢だ。そのボリューム、立体感、流れるラインを全身で感じ、体に電流が走るのを感じながら神様に感謝して1枚の絵を仕上げて行く。
この車の特徴的なカニンガムカラーはルマンになくてはならない物で、50年代の初めからカニンガムは自分自身の車を作って、アメリカの夢を乗せてルマンに車を送り続けた。
時に総合3位にまで輝いたその歴史には羨望と尊敬が集まり、後にマセラティやジャガー、コルベットで常にルマンに挑み続けたその白いボヂに青いラインのアメリカンカラーは、絵を描いていても惚れ惚れとする格好良さだった。

描き進めていて気づいたのは、その整備中のリヤハッチが横に持ち上がって開くと言うこと。こんなことでも気がつくと本当にうれしくなる。
アルミのボディはいかにも軽そうで、室内の様子もスパルタン。もちろんエンジンは芸術品のような眺めである。
そんなディテールを噛み締めて、1枚のスケッチを描き上げて行った。
オーナーらしき身なりの良い紳士が微笑んでくれる。エンジンやコクピット、上からのぞくリヤの足まわりなども写真を撮らせてもらい、こちらのスケッチを見てもらう。
「世界で立った1台の車だね」と彼にささやくと
「もちろん」
とにっこり微笑んで返してくれた。


 「シシリーを駆け抜けるフェラーリ250GTO」 2011/07/16

スポーツカー選手権に77年まで組み入れられていた、イタリアのシチリア島を舞台にしたロードレースがタルガフローリオだった。
とくに60年代、フェラーリが、アバルトが、アルファロメオが、ランチアが、手書きのナンバーも勇ましくシチリアの土埃の中を駆け抜けるさまは、今写真を見ていてもドキドキする。
道の傍らには地元の観客がへしあい、口々にお目当てのドライバーに声を上げる。もちろん一番人気は「フォルツァ!ニーノ!」

ニーノ・バッカレラは地元の教師でコーナーの隅々まで知り尽くし、フェラーリに乗ってこのイベントで勝利を収める大スターだった。
当時の記録フィルムを見ると、アメリカからはフォードGTが、イギリスからはパディ・ホップカークとともにビッグヒーレーが船から舞い降り、ポルシェもこのイベントに全精力を注いだカレラ6やカレラ10で総合優勝を残すさまが行き行きと描かれている。
それぞれのドライバーが実に楽しそうに集い、メカニックは太い刷毛で一気にペンキを使ってクルマにカーナンバーを描き込んでいるのが興味深い。
あのざらざらとした風景。乾いた風が舞い、埃で真っ白になったフェラーリがコーナーを駆け抜けるさまはどこまでもロマンティックだ。
公道レースが好きだ。とくにこのようなスポーツカーが小さな家がひしめく細い道を全力疾走して行くタルガフローリオのようなレースは、その遠くからエンジン音がこだまし目の前を通り過ぎる一瞬が、息をのむほどに美しい。絵にするならやはり背景の魅力的なこのタルガフローリオにとどめを刺す。
道々にある道路標識や、お目当てのドライバーを応援する大きな落書き、道ばたの観客や犬、道路脇のトラックでさえも、そこでは重要な小道具になる。

そこを駆け抜けるこのクルマは、大好きなフェラーリ250GTO。
水色と黄色に塗られた有名なクルマで、一時期日本にもあったこのGTOは30台あまりのGTOの中でもカラーリングが美しく人気の一台である。
日本で見た時はピカピカのヒストリックカーであったが、当時の写真を見るとボディはがさがさで、どこまでも現役の戦闘スタイルを貫く姿勢がストイックで、コーナーでボディを沈み込ませてコーナーリングする姿は本当に魅力的だ。
全開でコーナーを抜けて行く姿、遠くにはシチリアの山が連なり、かさかさとした街並には光りと影がコントラストを付ける。
遠く、憧れの先にあるそのレースを絵にするのは、なんと素敵な事であろうか。

クルマを描く時は、そのボディのツヤや佇まいを大事にしたい。でも、こんな公道レースが舞台だったら、その動きや臨場感、エンジン音と歓声、駆け抜ける一瞬の風を表現出来たなら、こんなにうれしい事は無いのである。


 「美しきピッコロフェラーリ ディーノ206S」 2011/07/23

大好きなフェラーリのプロトタイプはと聞かれれば、このディーノはまず筆頭に思い付くだろう。
小柄なアルミのスキンに、わずか2リッターのV6ディーノユニット。ドローゴ製のボディは、フェラーリのP3やP4との連携が強く、引き締まった体躯は週敏な野生動物を思わせる。ポルシェのカレラ6と死闘を演じ、数々の名勝負を記録に残している。
この土ぼこりにまみれた姿を見て欲しい。イタリアの乾いた空気とそこを切り裂く乾いたフェラーリミュージック、狭い路地をひらりとかわすドライバーはグーシェとバゲッティ。レースでは906が総合優勝を得るも、このディーノは2リッタープロトのクラスでクラス優勝を勝ち得ている。ひらりとかわした道ばたにはトラックが止まり、道々には人々が声援を送る。自分たちのヒーロー、フェラーリを声からして応援している様子が目に浮かぶ。
シチリア島の青空に映えるフェラーリの赤は、けしてピカピカのコンクールコンディションではなく、このように手の跡が残る半ツヤのボディに、無造作に描き込まれたナンバーやがさついた傷や埃。この時代に行ってみたい、そう願いながら描いたのがこの作品である。

このディーノは去年のルマンクラシックでも元気に走る姿を目に焼き付けた。ドライバーに比べて不自然に小さく感じるほどのボディスタイル。コーナーを抜ける軽快な身のこなし。サーキット上には同じフェラーリのP3/4や250LMの姿もあるのだが、目で追っていたのはこの小さなフェラーリの姿だった。暑い日指しの中、サーキットの風を感じながら腕を振り回して皆で盛り上がった夏の日からもう1年が経ってしまった。次から次へと予想もしていなかったものすごいシーンが繰り広げられる桃源郷のような日々が忘れられない。
もちろんパドックではスケッチパッドを広げ、その小さなディーノの実車を前にして、僕だけの逢瀬を楽しんだ。まわりにいくら人がたくさんいても、僕とディーノは1対1で会話をしているようだった。日頃写真や映像でしか出会えない憧れの姿に直面し、半ば緊張を覚え、興奮し、しかし冷静さを意識しながら1本の線を探して行く。
長く憧れが募っていた素敵な女性とのデートに招待され、そのときを楽しまない者はいないだろう。まさに至福の時間であった。アルミの膨らみは豊満でいながら凝縮感があり、その艶やかさは言葉には表せない物だった。

それからしばらくしてディーノのレジンキットを手に入れる。20年ほど前の古い製品だが、ずっと探していた曰く付きの物だった。当時よく通っていた模型屋のミスタークラフトのオリジナル商品で、ショーケースの中でいつも完成品を眺め、まだ学生の身で購入をためらってから、じっさいに手に入れるまでの長い時間。これが熟成の時と言う物だろう。ルマンの興奮をもとに一気に作ったレジンの1/24モデルは、机の上で輝いている。このレースで埃まみれになっているさまを夢想しながら、僕は小さな模型を磨いてみる。
小さな模型は僕の心の中で走り始める。
水彩紙に上に絵の具で表現したクルマを、ルマンで鉛筆を手に向き合った小一時間ほどの濃密な時間を思い出し、そのこだまするエンジン音を頭の中で反芻して。


 「もうひとつのフェラーリ250GTO 1964モデル」 2011/07/30

みんなが大好きなフェラーリと言えば、やはりフェラーリ250GTOが思い浮かぶだろう。
フェラーリ250GT SWBをベースにテスタロッサの250ユニットを組み合わせ、野獣のように引き締まった美しいフェラーリ自社デザインのスカリエッティ製アルミボディをかぶせた、30台あまりのサラブレッド。
この8月18日から21日まで開かれる、アメリカのラグナセカのミーティングではなんと250GTOのワンメイクレースが開かれると言う。興味のある向きはぜひともツアー等に参加されると良いと思う。
ここで取り上げるのは、あまり日本では知られていない、そのGTOの進化版、いわゆる1964モデルである。
62/63のGTOはスポーツカーレースで無敵を誇り、ルマンでのクラス優勝やグッドウッドでの勝利を筆頭に、世界中のレースで好成績をおさめ、時代のヒーローとなった。
そんな美しきGTOも64年になるとその勢いにかげりを見せ、フェラーリはミッドシップの250LMを後継として用意する。

しかしそれはプロトタイプで常勝を飾った名車250Pに屋根を付けただけのGTカーとはほど遠い物で、これをSWBの進化版として認めさせるには無理があった。
案の定GTカーとしての認可を認められなかったフェラーリは怒りを見せたが、GTOはより進んだ空力処理を取り入れて1964モデルへと進化する事で、その命を長らえたのである。
美しいファストバックのルーフは、LMのようにコクピットの後ろで裁ち落とされ、ボディ幅は広げられ重心も低められた。ウィンドウは寝かされコクピットの幅もつめられて、全面投影面積の減少をはかっていた。
王者がなりふり構わず美しきドレスを破り捨て、全身にシェイプアップを施してアスリートとして鍛え上げられたかごときその姿に、フェラーリの勝利への執念と情熱を見ることが出来るのである。

このGTOは、タルガフローリオでの勇姿。闘志が剥き出しになったレーシングカーも、その時代の中でピニンファリーナのマスターピースとしての美しさと品格を備えている。
いくらレースのためにのみ生まれたモデルであっても、無骨で野暮な衣装を着る事はフェラーリが許さなかったのだろう。豊満なリヤフェンダーと低く踏ん張ったその姿勢には、62/63GTOとは違う、新しい時代の美しさがみなぎらせている。
時代は変わりつつあった。ボラーニホイールとアルミのスキンで包まれた貴族的なレーシングカーは穏やかに退場して行き、アメリカンV8も勇ましい、コブラデイトナクーペやフォードGT40がその前に立ちはだかるようになってきていた。ポルターゴ伯爵がミッレミリアでフェラーリを乗り回した時代は遠く過ぎ、大資本がオイルマネーや物量、大馬力でサーキットを蹴散らす時代がすぐそこまで来ていたのである。
このGTOの後ろ姿には、そんな過ぎ行く美しき時代を惜しみ、さらに自らの手で新しい時代に立ち向かおうとする凛とした王者の決意を見ることが出来るのである。
GTOの62モデルと64モデルをサーキットで並べて見る機会があった。見慣れた62モデルはやはり美しく、神が引いたか如きそのラインは、ノーズの先からリヤのスポイラーまで一分の隙もなく緊張感をみなぎらせていた。光りと影が美しき彫刻のもつ立体感をピットの中に浮かび上がらせている姿に息を飲んだ。
でも、その横の64モデル、そこにも流れるようなスマートさと、走るためのみに生まれたストイックさがあり、偉大なフェラーリに僕は乾杯をしたい気分だった。
公道でも走れるGTカーがレースの最前線で勝利を収めた時代から、レースのみを目指したレーシングカーでなければ勝てない時代へと、ときはうつろいでいた。
どんな車にもストーリーがある。その走り、エンジン音、流れるボディーライン、そして勝利への野望を思いながら、僕はまた絵を描いて行くのである。