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2011年8月  
 「セブリングのカレラ6」 2011/08/06

カレラ6が好きだ。ポルシェの1966年のレーシングカーで、もちろん日本グランプリで日産のチームと当時の日本人に衝撃を与えた市販車でもある。
ポルシェは当時からこのようなレーシングカーを立派なカタログまで作り、メカニックの契約を付けるケースもあり一般カスタマーに販売していた。アメリカや日本のレースでもその人気は高く、プライベートチームの手でも数多くがサーキットをにぎわしていた。
このクルマはへゼマンとブゼッタの66年セブリングのクラス優勝,総合でも4位に食い込んだワークスカー。うしろのガルフの看板とチャンピオンのスタンド、そしてエセックスワイヤのGT40が気分を盛り上げる。

最初にカレラ6を知ったのは80年代始め、中学生のころの雑誌の日本グランプリ特集で、瀧進太郎や生沢徹、その国産メーカーに立ち向かうプライベートの姿勢に惚れた物だ。
その頃洋物プラモデル屋(当時はそんな店があった)でた接着剤不要の組み立てキットである古いリンドバーグの1/24カレラ6をみつけ、喜んで作ったのが懐かしい。

そのあとしばらくして古いレーシングカーのプラモデルが一種のブームとなり、LSより古い60年代のスロット崩れの金型にメタルパーツで精巧なホイールなどを追加したポルシェやシャパラルが発売となり小躍りしたのも思い出す。
そのシリーズもすべて買って作り込んだが、このカレラ6はちょっとイメージが追いつかない出来に少々がっかりした。
それでも素晴らしいホイールもありこのセブリング仕様を再現したくてがんばった。
デカールと言うプラモデル用の透明な水転写シールも当時は自作技術が無く、白いデカールにパソコンで作った数字をモノクロコピーして書体を再現。この52番のスタイルは僕の中のカレラ6の定番となった。

カレラ6のプラモデルの中でも最も記憶に残る物はと言えば、やはり60年代の1/16大型キット、当時技術が最高潮にあった今井が設計し後にバンダイに金型が移ったフル開閉の豪華なカレラ6にとどめを刺すだろう。
FRP地肌のようなクリーム色のごろんとした一体成形の前後カウル、パイプを組んでフレームを作りそこに前後サスをマウントして、インテリアとボディカウルでサンドイッチして全体を組み上げて行く製作スタイル、そしてなにより精巧なエンジン部と金属スプリングを作ってダクトホースを再現し完成した姿に密度と満足感を与えるその仕上がり、カレラ6の数あるキットの中でもやはり最高の出来に入る物である。
それぞれのパーツは実車を取材したであろう設計者の熱意と情熱にあふれ、子供でも作りやすいような確実な組み立てやすさも考慮されたすばらしいもの。
そしてこのキットも、躊躇無くこの大好きなセブリングカラーで仕上げたのだ。
このキットを作ったころ(今から10年ほど前)に手に入るようになったインクジェットプリンターで印刷出来る透明デカールを駆使して完成させた姿は、自分の中のカレラ6に最も近い物だった。それから何台もカレラ6を作り、このセブリング仕様やタルガフローリオ仕様も数多く机の上に並んでいる。

この絵のような遠くまで続くサーキットを夢見ながら、僕は毎日絵を描いたり、模型を製作したりしているのだ。


 「木漏れ日の中の思い出 ポンテペルレ2002」 2011/08/20

このシーンをみてほしい。場所は六甲山のドライブウェイ。気持ちのよい太陽のもとで目の前には木漏れ日が広がっている。
そのシルバーのフェンダーラインは1954年式のポルシェ550スパイダー。
目の前の赤いスポーツカーに着かず離れず、エンジン音は5月の新緑の山にこだまし、ほおを吹き抜ける風も心地よかった。

これは2002年の5月に参加した、3日間に渡って神戸を起点に瀬戸内海のまわりを1周するヒストリックラリーイベント、ポンテペルレ2002でのひとこまである。
このとき前を行くのは、美しいザガートボディもまぶしい、タレントのSさんのフィアット8Vザガート。うしろからNさんのアルファロメオ1900スーパースプリントのツーリング製クーペボディが迫ってくる。

550スパイダーのOさんは、ゴグルに革手袋の軽装でコーナーをひらりひらりと抜けて行く。その明るい顔からは自然と笑みがこぼれ、助手席でストップウォッチを握る僕も、ほおがゆるんで歓びが体中にあふれて行くのを感じていた。
背後で回る4カム4気筒エンジンは、それまでのバサバサとしたエンジン音が高いビートに変わり、重心の低いミッドシップボディならではの身のこなしで、まるで自分を中心にしているかのごとく、コーナーですっと向きを変える。
フィアットのV8サウンドとポルシェミュージック、アルファのDOHCサウンドの3重奏はどこまでも続くコーナーで、それぞれが絡み合いながらひとつの心地よい音色となって僕の体を熱くしていた。
こんなイベントでの体験が、僕の中に渦を巻くように積み重なっている。
それぞれのシーンは目に焼き付き、そのときの音や感触とともに、心から離れない。

車と道は切っても切れない。その走るシーンで、車は何倍も魅力的に姿を変える。
山道、海岸線、古い宿場町。
パリの道、ロンドンの街角。トスカーナの丘を抜ける田舎道。

走っている車、駐車している車、レーシングカー。それぞれのシーンで一番輝いている車を絵にしていくのが、僕のライフワークである。
それぞれの車にドラマがあり、オーナーなりの思い入れがそこに積み重なる。そんなシーンをこれからも絵にしていきたい。


 「ホールがみた夢、シャパラルのきらめき」 2011/08/27

ジム・ホールのシャパラルは、50代以上のモータースポーツマニアには、甘い郷愁を覚える懐かしい響きだろう。
そのカミソリで切り取ったかのような純白のボディはシボレーのコーベアモンザから通じる、ラリー・シノダの息がかかったものと言われ、GMとのつながりが深いスポーツカーデザインだ。ジム・ホールは語る。
「シャパラルには図面は無いんだ、すべて粘土で模型を作ってから立体化して行ったものだ」
とくに2Aから2Dに通じる、エッジのたったコークボトルラインのシャープな形に強い憧れを感じる。

この絵のシャパラル2Cに乗るのが、ジム・ホール。長身で優しい目をしたハンサムな姿は、ごつい体をした職人のようなシャープと強いタックを組んで、1965年のシリーズを荒し回る。スポーツカー選手権開幕の雨のセブリングから独走で優勝、リバーサイドでは1-2フィニッシュ、ラグナセカでも独走優勝、その後も勝利を重ね、シリーズ中盤からホールは2Aから2Cにスイッチする。
ここで可変フリッパーのつく白い怪鳥がついに目の前に降り立つのである。
ケントではデビューウィン。リバーサイドナッソーでもシャープが優勝。そして22戦で16勝と言うすばらしい結果を残し、まさにアメリカはシャパラルフィーバーで沸き立つのである。
ロード&トラック、カー&ドライバーと言った名だたる雑誌がシャパラルを表紙に据えた特集を組み、当時最高潮に達していたスロットコントロールレーシングカーはこぞってシャパラルを題材に選んだ。
ボーリング場やビリヤード場など、大人の遊び場に次々とスロットコースがオープンし、そこで目を輝かせる子供たちの憧れの目の先にいつもシャパラルがあった。
ホールがみた夢に子供たちが託したもの、希望が形となって、スロットコースを走り回っていたのだ。

この、パシフィックレースウェイでの、ジム・ホールと2Cをみて欲しい。
真っ白なノーズに描かれた66番の文字。この書体やマーキング、メッシュのホイールデザイン、純白のレーシングスーツ。すべてがスタイリッシュで、心ときめかせる。
この乾いた光線と、サーキットにこもる熱気、シボレーサウンドが耳をつんざくスタートシーン、自分が生まれる少し前の異国の地にタイムスリップしてその空気を感じ取りたい。
絵を描く行為とは、そんな想いをしたためた一方通行のラブレターなのかもしれない。写真をみながらその場所、時間を1枚の絵に切り取って行く。
鉛筆と画用紙、水彩絵の具を使ってなんとか手元に絵が出来上がったとき、ちょっと放心し、また翌日には違う絵を描き始める。
憧れはどこまでも遠くまで広がっている。