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2011年10月  
 「エッフェル塔とロータスヨーロッパ」 2011/10/07

ロータスヨーロッパ。コーリン・チャップマンが手がけた軽量スポーツにして、ミッドシップのコーナーリングマシン。
というよりも、僕たちの世代ではあのスーパーカーブームを牽引した漫画で、リアルタイムに楽しんだあの主人公の車として、強烈な印象を残していることだろう。
フェラーリ ディーノやランチア ストラトス、トヨタ2000GTという、今にして思えば玄人好みの車がメインで、フェラーリのBBやカウンタックは脇役扱いだったのも面白い。今でもあのブームの頃、小学生だった僕は親の会社を訪ねたときの社員食堂で、瓶のコーラやファンタの自動販売機(あのガチャンガチャンというもの)があり、大量に王冠をもらって裏に描かれたスーパーカーの絵をコレクションして級友に見せていたのを思い出す。
チャップマンの最初のコンセプトは、大量生産のルノー16のドライブトレインを使った、大陸向けのツアラーだったが、のちにロータスツインカムをのせてハードなコーナーリングマシンとしての性格をあらわにしていく。
このロータスヨーロッパスペシャルも、そんなツインカムを積んだハードな1台。最高にかっこ良かった漆黒のF1、ジョンプレーヤースペシャルのイメージを受け継いだ細いピンストライプが、ワールドチャンピオンに輝いたロータスの誇りを見せてくれる。
そしてそんなヨーロッパがたたずむのはフレンチカフェレストランと、エッフェル塔の見えるパリの街並み。
緑囲まれたカフェで、初夏の日差しの中通りに置かれたロータスヨーロッパ。車好きでなくてもうれしい光景ではないか。

ここで種明かしをしよう。このような風景はパリには存在しない。パリの15区あたりのカフェのようで、じつは東京の行きつけのフレンチプチレストランなのである。
たまたま見つけたおいしいフレンチの年が近いオーナーシェフと話すうちに、オーナーが車好きでヨーロッパに乗っていることを聞く。古い車や模型も大好きで、僕の個展にも来てもらってパリで修行した話や、パリを旅行された奥様のすてきな写真、そして大好きなエッフェル塔のことなどを聞いてストーリーが出来上がる。代官山のフレンチをパリの建物と組み合わせ、ロータスヨーロッパスペシャルとエッフェル塔まで入れた、ここにしかないスペシャルな風景が出来上がった。
この小さなフレンチは、代官山にありながらパリの香りが漂い、フォアグラ入りハンバーグやトリュフのオムレツ、鴨のコンフィなどが絶品なのである。
そんなお店の気持ちの良い空気が、こんな風景を頭に描かせたのだろう。
実際に地球上に存在しないファンタジーの世界、それを水彩紙の上に描き上げると、そこは僕だけのパリになる。




大好きなお店にいくと、そこでは額に入ったこの絵が迎えてくれる。代官山の街並にとけ込んだ小さなパリの空間で、僕はワインを手に家族と午後のランチを楽しむ。絶品のデザートまで口に運んだとき、またオーナーとの話が弾む。小さなお店で好きな話をして、ふっと日常を楽しくしてくれる空間。
こんなお店、一つあるとその街がすてきに見えてくるじゃないか。
また、この店を訪ねてみよう。


 「フォードGT40の挑戦」 2011/10/14

大好きなスポーツカーの話をしよう。誰もがその名を知っている、フォードが作り出した高さわずか40インチのミッドシップレーシングカー。
頑丈なモノコックに、アメリカンV8を搭載し、フェラーリに勝つために、ルマンに勝つためにディアボーンから送りこまれたこのGT40である。

1964年にルマンに現れたその姿は、それまでのフェラーリ250GTOやアストンマーティンよりも数段新しく、近代的なコンセプトに満ちていた。
繊細な手仕事で組まれた高度なDOHCエンジンや、アルミで手叩きされた美しいボディーラインはそこにはなく、エリック・ブロードレイの天才的なアイデアと、巨大なフォードのコンピューターからはじき出された高度な計算式の上で、徹底的にシミュレーションを繰り返したその姿は、他のレーシングカーに大きな衝撃を与えたのだった。
それでもとくに初期のGT40の姿は、ボラーニのワイヤーホイールやシンプルなプロファイル、美しい白と濃紺のカラーリングも含めて、十分に魅力的に映るのはひいき目だろうか。
のちにものすごい物量と大資本の力でもぎ取る、アメリカ式成功に満ちた輝かしいマーク2やマーク4とは違い、この年のGT40は、ルマンで苦杯をなめることになる。
主に大パワーに対してコロッティのギヤボックスが悲鳴を上げ、この1964年のGT40は全滅しフェラーリの275Pに勝利をさらわれる。
しかしそれは、あの栄光に包まれたフェラーリでのルマンの歴史の終焉へと向かう序曲でもあったのだ。

時代は移り変わる。
アストンマーティンやジャガーの活躍した50年代、フェラーリが常に勝利に輝いた60年代前半まで、そして、大資本のフォードや時計のように正確なポルシェ、フランスの威信を描けたマトラやアルピーヌ、新しい時代が始まろうとしていた。
メッキのウィンドウのモールやライトカバーの装飾、ワイヤーホイールにきらめく美しいスピンナー、ジェントルマンドライバーや、清々しいナショナルカラーはサーキットから姿を消していき、タバコと石油を中心にしたスポンサーカラーに彩られた、熾烈な70年代のモータースポーツのドラマが待ち受けていた。

そんな狭間の1964年という年が、とても気になる。フェラーリは250LMをデビューさせ栄光を勝ち取ろうとし、フロントエンジンのスポーツカーは次第に姿を消しつつあり、ミッドシップの近代戦へと突入していく。そんな時代の転換期で、フォードが送り出したスポーツカーは、まだ生まれたばかりの姿で24時間レースに立ち向かう。
だから、この初期のフォードGTが気になって仕方がない。
古いリンドバーグの1/32キットを改造したり、スロット時代のK&Bをコピーした60年代の青島のキットを改造したり、そして、COXの1/32レーサーを手に取ったり、後の自信に満ちあふれたGT40も素晴らしいが、この初期の姿には、何か憧れに似た、少しばかり胸が熱くなるような感覚を覚えるのである。
挑戦者としてのGT40。まだその前に立ちはだかるフェラーリの壁は厚く、スポーツカーでのレースの仕方を模索していたあのころのフォード、その走りを、こうやってモノクロで描き止めてみた。このカーナンバー10のドライバーは、フィル・ヒルとブルース・マクラーレン。トラブルのあと4位まで順位を挽回して、翌朝午前5時にリタイヤ。しかしそのスピードはフェラーリを恐れさせた。

誰もが見慣れたGT40ではなく、この初々しい姿に、僕は胸を焦がす。このクルマにちょっと胸がきゅんとなるのである。



 「アメリカの恋人 ポルシェ356スピードスター」 2011/10/21

ポルシェの歴史は、やはり356から始まったと言っていいだろう。
ミッドシップの試作車などを経て、最初に356の姿を持ったクルマが世に出たのは、1948年。
このグミュント製の試作車は、クラシックな丸みがティントイのようで、ポルシェ356フリークの間でも特に珍重される幻のクルマである。
フォルクスワーゲンをベースにしたその外見は、まぎれもなく356であり、シンプルで堅牢そうな外観は、ドイツの古い工業製品特有のかちりとした精密感と暖かみにあふれている。

この356は、のちにアメリカの要望もあり、簡単な幌が付いたうずくまるようなスポーツカーが追加される。
それがこの絵にある、1954年から生まれたスピードスターであった。
オープンのボディはバスタブと呼ばれ、そこに付く極端に低いウィンドウスクリーンや、ほおかむりしているかのようなごく簡単な幌は、ドイツ風の頑丈な内張を備えた、いわゆるコンバーティブルDとは異なり、幌をおろした姿がとてもシンプルでまさにスポーツカーの持つ軽さそのものを体現していた。

このスピードスターは、雨の少ない西海岸を中心に高い人気の車種となる。当時の草レースやジムカーナの写真を見ても、思い思いにカラーリングを施された市販車同然の356レーサーを多く見ることができる。

当時まだ世では無名の俳優だったジェームス・ディーンの愛車が、この出たばかりのスピードスターだった。
黄色いスピードスターにはコンペナンバーが描き込まれ、ライトにもカバーがかけられている。この356とともに写ったモノクロフォトが忘れられない。
何にも物怖じしない、どこか孤独感を持った若者の姿。
スピード狂だったディーンは、この356スピードスターでレースの持つスリルと興奮の虜となり、俳優業の傍らさらにこの世界にのめり込み、1台のレーシングカー、ポルシェ550スパイダーを手に入れる。
その550スパイダーとは、高度な4カムエンジンをミッドシップに搭載し、軽いアルミボディと組み合わせたレーシングカーであり、皮肉にもジェームス・ディーンの最後の愛車として、後世に長く名が知られることとなるクルマになった。

356に話を戻そう。
このスピードスターには軽快なモディファイがよく似合う。ライトに金網や金属製のカバーを付けたり、このイラストのようにオーバーライダーの付かない、より軽量なバンパーに交換、ライトのあたりからフロントフェンダー上面にコクピットまで赤や黄色の三角形のフラッシュをペイントするのもお約束だった。コクピット後方にロールバーを取り付け、ドアの脇にはアメリカのレース特有のクラス分けが書き込まれる。
この356の場合はDP、Dプロダクションクラスというものを書き込むのがそれらしいだろう。
モービルの赤いフライングペガサスのマーキングやボッシュあたりの古いステッカーもいいかもしれない。
そんなモディファイが頭にどんどん浮かんでくるのが、この手のスポーツカーの楽しみだろう。

この絵の356は友人の持つごく初期の356スポードスター。こつこつとパーツを集めて、ご覧のように魅力的なモディファイを楽しんでいるオーナーの様子が目に浮かぶ、じつに好ましい姿である。

これを絵に描くなら、古いヴァージニアインターナショナルレースウェイのパドックの写真を探し出し、そこに356を描き込んでみた。
乾いた空気と、広い空、そしてトライアンフのレーサーとともに。
アメリカの恋人がぴったりとくるシチュエーション、それを探し当てるのも絵を描く楽しみの一つである。



 「ロータスヨーロッパとコグレ模型」 2011/10/28

ロータスヨーロッパ、それまでフォーミュラやプロトタイプ、ルネボネのジェットで試みられたミッドシップと言う最新流行を安価なスポーツカーのコンセプトとして落とし込み、エランで証明された鋼板バックボーンフレームとFRPボディの組み合わせで、軽量と高い操縦性を併せ持つ新しいスポーツカーの地平を切り開いた。
それは組み合わせの妙であり、まさにチャップマン的な思考の申し子であったろう。
ヨーロッパ大陸、とくにフランスを大きなマーケットと見なしたチャップマンは、エンジンルームにルノーの大型サルーンであった16のエンジンとギヤボックスを配置することで、ルノーの広大なサービスネットワークを手に入れる。
あくまでも吊るしのエンジンを使用することで、軽量なボディに見合った軽快な動力性能を手に入れたヨーロッパは、それまでのやせ我慢する英国式のオープン2座スポーツカーの歴史に別れを告げ、ビジネスマンズエクスプレス的なスマートなモビリティを目指したのかもしれない。

サーキットでは主流となったミッドシップにこそ、これからのスポーツカーの姿を見たヨーロッパ。
のちのX1/9やポンティアック・フィエロ、トヨタのMR2、そしてホンダのビートやマツダのAZ1、量産車のエンジンを使った軽量スポーツというコンセプトは、それぞれの時代に現れては消えていくことになる。
その流れの中で、この初期型のヨーロッパの姿に清々しいものを感じる。
どうしても市場の強い要望というものに対応していく自動車メーカーの性を思うと、このような独善的でストイックにも見えるコンセプトありきのスポーツカーはもう生まれないだろう。
後にヨーロッパはシリーズ2で英国での販売も開始し、ツインカムやスペシャルというおなじみのモデルの登場で伝家の宝刀のロータスツインカムを手に入れる。
やはりチャップマンの作ったスポーツカーにツインカムの大馬力を求める声の大きさを無視することは出来なかったのだろう。

プラモデルの世界を見ると、ヨーロッパの傑作モデルと言えば、タミヤの1/24プラモデルを思う人も多いだろう。
タイプはスペシャル。バックボーンフレームとロータスツインカムを組み立て、そこにまさにプラスチック製ボディをかぶせる儀式を味わえるのは、まさにこのモデルならではの楽しみだろう。
余談だが、タミヤのアルピーヌも同じ頃の設計で、太いチューブフレームにボディをかぶせる設計に、クルマ好きをにやりとさせる楽しみかたを感じる。
さらにグンゼのハイテックモデルと言う金属とプラを使ったモデルでは、エッチングの金属板で鋼板フレームを組み立て、金属のエンジンや足まわり、プラのボディの合体と言うやりすぎな設計も試みられたのだから、良き時代というのがあったのかもしれない。

そして、ヨーロッパのモデルと言えば忘れられないのが1/20のバンダイヨーロッパなのだ。今から40年以上前に作られた古いモデルは、まだ可憐な初期型のスマートな姿のヨーロッパシリーズ1の時代であり、そのボディの再現度は驚くべきものだった。
かつてプラモデル創世記にロータスを好んでモデル化した、奇跡のようなメーカーがあった。コグレ模型。その1/20のロータスエリートとロータスエランのプロポーションは素晴らしく、今にいたるもロータスの最高峰のモデルとしてマニア間で取引されている。
この伝説のメーカーのモデルを組み立てて思うことは、実車への愛情と、模型への深い情熱であった。おもちゃだからという妥協はいっさい無く、当時の金型設計技術の限界に挑み、あくまでも実車のスケールモデルを目指したその作り手の姿勢は、やはり市場の流れの中で消えていくこととなる。

そしてバンダイのヨーロッパを組み立てて、その設計にコグレとのつながりを深く感じ、のちにコグレの設計者のかたがこのヨーロッパにも取り組まれたという話にたどり着く。
ヨーロッパのたどった、その孤高の道のりにコグレの情熱が重なるのだ。特に初期型のスリークな姿の1/20ヨーロッパを見るとき、かつてコグレが好んでロータスをモデル化した理由も偶然では無いと感じる。
だから、この1/20の初期型ヨーロッパを山吹色に仕上げた僕は、模型棚にコグレのエランやエリートとともに並べ、遠い時代に思いを馳せるのである。