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ロードスター − 男=ビート  

生まれも育ちも東京の私には、物理的な故郷とか田舎とかってやつがない。にも関らず、広島で生まれ育った知り合いが多い。なぜかといえば、自動車雑誌の記者をしていた花の20代の頃、くだんの本でユーノス・ロードスターの連載企画を担当していたからで、広島はロードスターを生み育んだマツダのお膝元だからだ。と言ってしまえばそれまでなのだが、実際にはあの女がいたからだ、と信じている。

ショーコはハブな女だ。ハブったってヘビじゃないぞ。ホイールのハブ。またはハブ空港のハブである。彼女の周りの人間集団は、よくよく観察してみれば、すべて彼女を中心に成り立っているのだ。マメでしっかり者で明るい……少なくとも明るく振舞うことを信条としているショーコは、人と人を結びつける天才だ。あんなに多忙なのにどうしてそこまで? と不思議になるほど、細やかで温かな心の持ち主でもある。

ロードスターが縁で知り合ったという経緯から想像できる通り、あの頃のショーコは、発売されて間もなかった初代ロードスター(もちろんMT)に乗っていた。しかし、やはりロードスターが共通項のボーイフレンドと、涙ながらにさよならした後、ホンダ・ビートに乗り換えた。

どうしてビート? なぜに同じような姿形のクルマなの? あんなにツラい別れをしたのに、未練たらたらだっていうわけ? などと一瞬思ってみたが、それは私が、男目線で成り立っていたクルマの世界とディープに関わったがために、男目線を獲得してしまったからだ。と、思い知らされた。意気揚々とまっ黄色の小さなオープンカーを駆るショーコの姿は、「クルマごと崖から落ちてやる!」と夜な夜なロードスターで峠を目指した彼女とは、180度違っていたからだ。

そうそう、女ってこうだよね。女の真骨頂は、切り替え上手。そして、現実をシビアに見つめられちゃう目。我が意を得たり、なショーコの買い物に、スカっと爽やかな気分になったものである。

つまり、あんな男はキレイさっぱり忘れたが、こんなクルマはやっぱりしっかり忘れなかった、ということなのだと思う。あんなことやこんなことをしやがった男にはうんと罪を押し付けたいが、クルマには何の罪もないのだし。だって、所詮、モノだ。ランボルギーニもマセラーティもメルセデスも、トヨタもニッサンも、そしてもちろんロードスターだって……たかが、機械だ。思い出にカギをかけられさえすれば、思い出の品を「バカヤローっ!」と叫びながら海に棄てる必用など、どこにもないではありませんか。

だからといって、アイツとまったく同じクルマに乗るっつうのもハラワタが煮えくりかえる。言い換えれば、ロードスター − ボーイフレンドの存在感、という引き算をしてみたら、ビートという答えが出てきたってわけ。次回は、その後のショーコの物語を。おっとその前に……。

みなさま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく!