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女のヨロコビ@  

振り返ってみれば、20年ほどの月日をクルマとともに過ごしてきたことになっている。その間に7台のクルマを持ち、そして仕事柄、数え切れないほどのクルマのステアリングを握ってきた。

フェラーリに乗れば、そのダイナミックな感性に心が震え。アルトを駆れば、日本のお家芸たる箱庭の精緻な作りこみに感心し。プジョーの小粋さにおしゃれ心をそそられ。マセラティの毒と華にクラクラと酔い。ロータス・エスプリで地を這い。ビートル・カブリオレで風を感じ……。そうやってクルマと向き合う日々を重ねた末に、ひとつの気づきが降りてきて、少しばかり戸惑っている私がいる。

クルマへの興味が、薄れているのだ。最新のテクノロジーを駆使したGT-Rだろうが、積極的な電子デバイスなど持ち得ない時代に生まれた2CVだろうが、試乗した際に訪れる一番大きな感情に大差がないのだ。これはもう、クルマをネタにご飯を食べている身にとっては、慌てふためくべき事態なんであって。きっと、経験を重ねすぎた結果の慣れによって、感覚が麻痺してしまったのだ。との自己分析は、たぶんはずれていない。はずれてはいないけれど、その一番大きな感情の何たるかに思い至り、都合よくほっとしている私もいる。

クルマそのものへの興味が薄れているのは確かだが、クルマに乗ることそれ自体への欲や意志は、むしろ強まっている気がするのだ。自宅からたった400メートル先のコンビニへ行くにも、わざわざクルマのイグニッションを捻った、若かりし日の、とにかく何でもいいから言い訳さえ思いつけばドライバーズシートに座りたい、というような、未知なるものへの好奇心に裏打ちされた欲や意志とは違う。たとえば、仕事の打ち合わせに向かう道すがら、バックミラーでお化粧をチェックするとき。あるいはちょっと郊外まで食事にでかけた土曜日の午後、友人を乗せて走るまっすぐな国道。はたまた子どもたちを迎えに行くために走る夕暮れの首都高速で、ヘッドライトのスイッチをひねるとき……。生活の移動手段としてクルマを選び、ステアリングを握る――いつもと変わらない日常を編むための、何気ない刹那刹那に、ひたひたと降り積もる幸せが手放せなくなっているのだ。

言い換えれば、乗って愉しくないクルマはない、という境地に至ってもいるわけで。これはもう、間違いなく仕事柄の役得だ。けれどもそれ以上に、女であるがゆえのヨロコビでもあるかもしれない、なんてことを考えている。(次回へ続く)