岡小百合コラムTOP


   
女のヨロコビA  

時代がどんなに移ろい、どれほど女性ドライバーが増えようとも、男にとってのクルマと、女にとってのそれとでは、ちょっと意味が違っているはず。男になったことは一度もないので、偉そうに断言することなどできないけれど、たぶんそうはずれてはいないと勝手に信じてきた。

男にとってのクルマには、自己表現手段としての意味合いも、大きいみたい。だから、どんなクルマに乗るか、それをどんな風に走らせるか、といったことに、重きが置かれてもいるような気がする。

それに引き換え、女のクルマとの向き合い方は、もっとシンプルかつ大胆だ。自分自身の生活を支えるにふさわしい、利便性やコストパフォーマンス、おしゃれ度の高さに安全性……。高額な買い物だから、もちろんプライスタグに見合うだけの言い訳を探しはするけれど。最終的には、見て乗って走らせたときに、自分が“感じる”かどうか、という点にしか、クルマ選びのポイントはないような気がしているのだ。

言い換えれば、自分の「好き」という感覚に忠実でありさえすれば、安かろうと高かろうと、大きかろうと小さかろうとかまわない。排気量やエンジンの型式といったスペックはもちろん、サーキットでの実績や、輝かしいブランド・ヒストリーや、泣かせる開発秘話も関係なし。シートやドアの数、屋根のあるなし、もっと言えば、ATかMTかさえ、どうでもいい。そんな竹をスパっと割ったような潔さと、大いなる自由があるように思うのだ。

そうでなければ、4年弱にわたって連載してきたこのコラムに登場したあまたの女性たちが、あれほど輝いているはずがない。フェラーリやマセラティを駆る妖艶なマダムだけでなく、マニュアル・シフトに四苦八苦しながら初代ユーノスロードスターを走らせていたOLや、ちょっと旧いフランス車と格闘するキャリア、そしてKカーをキビキビと走らせるおばちゃんまでもをイキイキと見せる、女×クルマのマジックを、説明する手立てがない、とさえ思う。

仕事、結婚、子育て、ご近所づきあい。自分磨きに、もちろん、おしゃれも……。なんだかとにかく、いつもいつでも、やるべきことだらけの、女性の日常。男女同権が叫ばれているこのご時世に、でも、まだまだ女性に冷たい法律や慣習の壁にくじけそうになったり。その一方で、男とは違う女らしさを、たっぷりと味わいたい思いを募らせてもいたり。時代の波に寄りそったり流されたりしながら、いつもちょっとだけでも笑っているために、クルマのドライバーズシートは、女にとって欠かせないよりどころになっているのではないかと思うのだ。

右へ行くのも、左へ曲がるのも、走るも止まるも、すべてがステアリングを握る自分の意志に委ねられている空間。ペダルを踏み込むほどあがっていくスピードとともに、カタガキやシガラミや、そうしたものから解放されて、ひたすらに、ただの自分であることを確認できる場所。思いどおりにならないことのほうが多い毎日の中で、思いどおりに操ることのできるクルマの存在は、ひとさじの、けれども強烈にHAPPYなスパイスとなって、女の人生を彩ってくれる。少なくとも、私はそう。だからきっと、私はこれからも、クルマのステアリングを握り、そして自分でクルマを走らせることを、やめないだろうと思う。大切な誰かを隣に、あるいは後ろのシートに乗せながら。

この連載に登場してくれたすべてのひとの、そして誰よりもこの連載を支えてくださった読者の皆さんの、クルマとともにある幸せで素敵な毎日を祈って。ご愛読、ありがとうございました。